続きです
父と小さな和解をした日から
私の気持ちはすごく楽になりました
電話はなかなか出来なかったけど
月に2~3回はメールでやり取りをして
お互いの生存確認をしている感じが続きました
メールの内容は近況報告と世間話で
お互いに重たい話は避けていた気がします
核心を突くような話題を出したら
きっとこのやり取りは終わってしまう
そして二度とお互い連絡は取らないだろう
なんとなく私はそう思っていました
メールと極々たまにの短い電話
そんな父とのやり取りは4年以上続きました
その間に私は職場の移動が3回あり
住む場所もその度に変わっていました
リーマンショックも経験しました
派遣の工場ワークには
とても痛い経験でしたが
なんとか仕事は繋がってくれて
最低限の生活は維持出来ていました
そして4年の間にジンさんとも出会いました
私が移動した現場で
リーダーをしていたのがジンさんです
まだ20代で若かった私の事を
色々気にかけてもらい
そのまま仲良くなりました
3回目の職場の移動の時に
ジンさんから『一緒にいよう』と言ってもらい
そのまま同棲を始めました
2人で暮らし2人で稼ぐようになってから
生活はすごく楽になりました
ジンさんは車を持っていたので
自然と行動範囲も広がって
私はそれまでで一番幸せな時間を過ごせていたと思います
ジンさんには父の事や実家での事は
全て話していました
ジンさんも色々あって地元を離れた人なので
私の気持ちを汲んでくれて
私が話さない限りは
実家の事には触れないでいてくれました
そしてジンさんとの同棲が2年近く経った頃です
父が倒れました
兄から電話があり
『親父が倒れた。お前も意識があるうちに会っておけ』
こんな事を言われました
パパが倒れた…
私は兄と電話をしながら固まってしまいました
どうしたらいいんだ!??
意識があるうちに会えって言われても…
私は頭が真っ白になって
しばらく動けなかったと思います
そんな私を東京まで連れてってくれたのは
ジンさんです
私から話を聞いて
すぐ仕事の方は休暇を取ってくれて
そのまま私を車に乗せて東京まで走ってくれました
あの時のジンさんは本当に早かったです
正直私は父が倒れたと言われても
まだ会う勇気も東京に戻る覚悟も出来ませんでした
でもそんな事を考える暇を
私に与えない速さで行動していました
ジンさんからは
『とにかく一度会った方がいい。絶対に後悔する。会ってやっぱり無理だと思ったら、その時に縁を切ればいい』
そう言って、車の中でずっと
私の手を握ってくれていました
東京までの数時間
ほとんど記憶はありません
たぶんすごく緊張していたんだと思います
兄から教えてもらった病院に着き
私は1人で病室に向かいました
するとそこには私が東京を離れた5年前より
かなり痩せた父がベットに横たわっていました
父はすぐ私に気づき
それは驚いた顔をしていました
そりゃそうです
5年間一切顔を見せず
たまのメールも内容のない会話ばかりで
ほとんど関わろうとして来なかった娘が
突然目の前に現れたんですから
私は父のベットら近づき
手を握って泣きながら『ごめんなさい』
って、言いました
父は年をとっていました
私が想像してたより老いていました
父から逃げていた時間は
自分が思っていたよりも
遥かに長かったと感じました
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