続きです
母が亡くなり
父兄と3人の暮らしが始まりました
相変わらず家の事はすべて
私がやっていましたが
母の介護が無くなった分
私も時間に余裕が出来るようになりました
当時は高校2年生
周りの友達にはバイトをしてる子もいて
中学までとは違う学生生活を送っていました
でも私は家の事があったので
父にバイトをする事は許してもらえませんでした
それでも学校帰りの放課後に
友達と駅ビルに寄って買い物をしたり
マックでお茶をしたりと
それくらいの楽しみは出来るようになりました
そして私も年頃
人並みに恋をして好きな人も出来ました
母がいなくなった寂しさや
家事をしなければいけない負担はあったけど
それなりに高校生活は謳歌していたと思います
ただ、どうしても自由にならない日がありました
それは父が休みの日曜日です
何度か友達と約束をして
日曜日に出かけた事があるんですが
夕方家に帰ると父はすごく不機嫌でした
きちんとお昼ごはんの準備もして出かけたんですが
父は自分が休みの日に
自分の面倒を見る人がいないのが気に入らなかったようで
一度『今度の日曜日、友達と出かけるね』と
前もって話をした時
『なんだまた俺のいる日に出かけるのか!!』
と、すごい剣幕で言われた事がありました
それでも約束をしていたので出かけたんですが
夕方帰ると作っておいたお昼ごはんは食べておらず
『早く飯にしろ!!』と、怒鳴られました
私はそれから父の休みの日に
外出をする事をやめました
帰ってからの父の態度や家の空気を考えると
出かけたいなんて思えなくなりました
だから私が自由に遊べるのは
学校帰りの放課後がメイン
それでも私は楽しかったです
でも学生をやっていれば
テストもあるし部活もあります
時々忙しくて夕飯が作れなかったり
作れても炒飯だけの時がありました
すると父はまた不機嫌になり
私にこう言いました
『お兄ちゃんは生活費を家に入れてるんだから、ちゃんと夕飯は作りなさい。それが出来ないなら、渡してる生活費からお兄ちゃんに返金しなさい』と…。
確かにその頃の私は父から生活費を預かり
食材や日用品の買い物は全て私がやっていました
生活費を預かってるんだから
家族のごはんを作るのは当たり前なのかもしれないけど
私には私の学生の生活もあるのに
なんでそんな言い方をされるんだろう…
働いて生活費を数万払ってる人ってそんなに偉いの!??
私は好きでお金を預かって家事をしてるわけじゃない
文句があるならお金返すから
パパがお兄ちゃんのごはんの準備すればいい
私がお兄ちゃんからお金を貰ってるわけじゃない!!
こんな感情が激しく自分の中に生まれましたが
結局それは言葉に出来ませんでした
父には逆らえない…。
私は忙しくて夕飯が作れない時は
兄に1000円を返金していたと思います
自由にならない日曜日と
平日の放課後も時間を気にする毎日
気がついたら、私の恋は終わっていました。。。