母の自宅療養は約1年続きましたが
私が高校2年になった春
母は亡くなりました
46才でした
亡くなる10日前に体調が悪化し
入院しましたが
そこからあっという間に体力が無くなり
最後は意識が戻らず眠ったまま逝ってしまいました
ドラマであるような
最期のお別れシーンなんてなかったです
病院からすぐに来てほしいと呼ばれて
父兄と慌てて行った時は
もう亡くなった後でした
高校生で母を亡くすというのは
なかなか衝撃的な悲しい出来事でしたが
ずっと闘病生活を続けて
年々身体が動けなくなっていき
最後の1年はほぼ寝たきりだった母を見て来たので
涙が止まらないくらい悲しかったけど
終わった…という気持ちにもなりました
もう、ママの苦しむ姿を見なくていい
もう、夜中に病院に駆け込まなくていい
もう、入院中の病院から呼び出される事もない
冷たいかもしれないけど
そんな事を考えてしまいました
それだけ母の闘病生活は過酷だったんです
母が亡くなって葬儀を終えると
不思議なくらいあっさりと日常が戻って来ました
もともと家の事は私がしていたし
母のいない生活というのは
ある意味出来上がっていたので
ママがいないという寂しさはあったけど
家族の生活自体は何も変わりませんでした
私が家の事をするのは当たり前の生活が
ここからもずっと続きます
私は母がいなくなった家で
母の言葉を思い出していました
確か亡くなる半年前くらいに
お風呂の介助をしてる時に言われたんだと思います
『まやちゃん、ママがいなくなってもパパの事お願いね』
どこか寂しそうに
でもすごく優しい口調で言ったのを覚えています
母は自分がもう長く生きれない事を
わかっていたのかもしれません
母は自分が病気になった事で
父に大変な負担をかけている事を
いつも気にしてる人でした
その気持ちは今の私もわかります
私も母の病気を遺伝でもらい
現在は普通に暮らせているけど
いつかは悪化するかもしれません
それに子供は産めませんでした
夫ジンさんには
申し訳ない気持ちが強いです
きっと病状が悪化していた母は
私以上に父に負い目を感じていたんじゃないかな!?
と、思います
母の『パパの事お願いね』
この言葉は母の父の事を想う気持ちから出た
純粋なものだったと今は思います
でも当時のその言葉は
それから数年に渡って
私を縛り付ける呪縛のようなものになり
私に重くのしかかっていきました